西24-2 下鶴間東部

三千分一地形図「東京西部」西24-2 下鶴間東部(印刷図)
西24-2 下鶴間東部(印刷図)
「西24-2 下鶴間東部」と同じ範囲の現在の地図
「西24-2 下鶴間東部」と同じ範囲の現在の地図

「西24-2 下鶴間東部」の情報
属性 内容
図番・図名 西24-2 下鶴間東部(しもつるまとうぶ)
測量・測図年 昭和18年12月
地図の種類 印刷図のみ
地図の区分(描図法) 縮小図
地図に含まれる現在の行政名・町名 町田市鶴間、横浜市瀬谷区北町・五貫目町・目黒町・上瀬谷町・瀬谷町、大和市下鶴間・深見
地図に表示されている注記 行政名:高座、戸塚区、南多摩、南村、大和町、横浜市
町名・集落名:上瀬谷、五貫匁、下鶴間、瀬谷町、鶴間大ヶ谷戸
神社・寺院・宗教施設名:観音寺
橋梁名:鶴間橋、目黒橋
河川・池沼・上水名:境川
豆知識 ①地図全体の特徴
・本図には原図が現存していないため作成時の縮尺は不明である。しかし、西24の3面はいずれも「昭和18年12月空中写真測図」に基づいており、唯一原図が残る「西24-3 亀甲山」では「縮尺1/4,000で作成された縮小図」であることが確認されている。図の描写様式もこの原図とほぼ同一であることから、本図も同様に「縮小図」と整理した。なお、等高線は5m間隔で描かれている。
②地図に描かれた内容から読み取れること
・図の大部分は現在の横浜市瀬谷区に相当し、西側に大和市、北側に町田市が接している。
・図の中央に記されている「戸塚区瀬谷町」は、1939(昭和14)年3月31日までは鎌倉郡内の一村であったが、翌4月1日に周辺町村とともに横浜市へ編入され、「戸塚区」が発足した。その後、1969(昭和44)年に戸塚区から瀬谷区が分区し、現在に至る。「南村」は、1954(昭和29)年に町田町に編入され、さらに1958(昭和33)年に鶴川村・忠生村・堺村と合併して市制施行し、町田市となった。「大和町」の変遷については前述しているため、ここでは触れない。
・図の右下には、畑地とは異なる形状の白地が描かれている。資料によれば、終戦時の上瀬谷には横須賀海軍資材集結所(第二海軍航空廠瀬谷補給工場、または瀬谷補給工場火薬庫とも呼称されていた)が存在していたという。1944(昭和19)年10月15日撮影の空中写真(C37(899)-C3-234)には、本図および右隣図(「西24-3 亀甲山」の原図)の範囲に、それらしい施設が写っている。しかし、「西24-2 下鶴間東部」については原図が現存していないため、地図作成時点での描写方針を直接確認することはできない。一方、1941(昭和16)年7月24日撮影の空中写真(C26-C5-98)には、本図の範囲に何らかの施設が写っている。海軍関連施設であった可能性があり、そのため印刷図では該当部分を白地として処理したものと考えられる。ただし、原図が残っていないため、白地の理由については空中写真と当時の状況から推測するにとどまる。
③その他
・地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)で印刷図を閲覧できる。
・参考文献:『多摩地形図』(之潮)ほか