西26-7 芋窪南部

三千分一地形図「東京西部」西26-7 芋窪南部(原図)
西26-7 芋窪南部(原図)
「西26-7 芋窪南部」と同じ範囲の現在の地図
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「西26-7 芋窪南部」の情報
属性 内容
図番・図名 西26-7 芋窪南部(いもくぼなんぶ)
測量・測図年 昭和18年10月
地図の種類 原図のみ
地図の区分(描図法) 縮小図
地図に含まれる現在の行政名・町名 東大和市上北台・桜が丘、武蔵村山市学園・緑が丘・大南
地図に表示されている注記 行政名:北多摩、村山村、大和村
町名・集落名:芋窪
豆知識 ①地図全体の特徴
・縮尺1/4,000で作成された縮小図で、左上には印刷図に仕立てる際の図郭の引き伸ばし寸法が記されている。
・等高線は5m間隔で描かれており、主要な地名や地物の注記が書き込まれている。
②地図に描かれた内容から読み取れること
・図の左側約4分の3が現在の武蔵村山市、残りが東大和市の範囲である。旧町村の変遷については前述しているため、ここでは触れない。
・本図に描かれた旧村山村の区域には、規模の大きい陸軍施設が2か所確認できる。図の左上には施設名の注記はないが、資料から「所沢陸軍航空整備学校立川教育隊」であることが判明している。航空兵器の整備と教育を担った陸軍航空整備学校は、1943(昭和18)年8月に所沢陸軍航空整備学校と改称し、同年10月に村山の高射砲部隊跡地に開設された立川教育隊で入校が始まった。ここでは、航空兵器の整備を志願する少年飛行兵に対する教育が行われた。
・図の左下には「東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校)」が位置する(学校内の配置図と地図の比較はこちら)。本図には注記がないが、下隣図(西27-1 四番組北)には「東京陸軍航空学校」と記されている。この学校は、10代の下士官候補者(少年飛行兵)に基礎教育を施すために設置されたもので、1年間の教育を経て、操縦や技術の上級課程へ進んだ。なお、同校は1943(昭和18)年4月に「東京陸軍少年飛行兵学校」と改称したが、同じ月に作成された「西27-1 四番組北」の地図には、改称前の名称が記されている。
・前述の所沢陸軍航空整備学校立川教育隊の西側には「村山陸軍病院」が隣接している。この病院については「西36-9 二番組北部」で詳述する。
・武蔵村山市に存在した軍事施設の概要については、楢崎(2005)に詳しい解説がされているため、「多摩のあゆみ」第119号を参照されたい。