西17-7 戸倉新田

西17-7 戸倉新田(印刷図)

「西17-7 戸倉新田」と同じ範囲の現在の地図
| 属性 | 内容 |
|---|---|
| 図番・図名 | 西17-7 戸倉新田(とくらしんでん) |
| 測量・測図年 | 昭和18年1月 |
| 地図の種類 | 原図、印刷図 |
| 地図の区分(描図法) | 詳細原寸図 |
| 地図に含まれる現在の行政名・町名 | 国分寺市新町・富士本・戸倉・日吉町・東戸倉・西恋ヶ窪 |
| 地図に表示されている注記 |
行政名:国分寺町、西府村 町名・集落名:稲袋、榎戸新田、久保、窪西、恋ヶ窪、沢又、戸倉新田、内藤新田、西原、野中新田、富士本、府中道、南台 飛地名:榎戸新田飛地、内藤新田飛地、野中新田飛地 鉄道名:西武鉄道川越線 |
| 豆知識 |
①地図全体の特徴 ・縮尺は1/3,000、等高線は1m間隔で描かれている。図郭外に貼り込まれた測量年・縮尺バーなど4か所の整飾を除けば、地図面は細密で統一感のある線描で構成されている。 ・「東京西部」の原図群の中でもとりわけ完成度が高く、本サイトではその精度を踏まえて「詳細原寸図」としている。 ②地図に描かれた内容から読み取れること ・図の全域は現在の国分寺市に相当する。右下隅には「西府村」(現・府中市)の地名と境界が描かれているが、この部分は現在国分寺市の範囲となっており、中央本線が国分寺市と府中市の市境をなしている。 ・本図には、新田開発の名残である「榎戸新田」「戸倉新田」「内藤新田」「野中新田」の地名が記され、細長い短冊状の地割りが規則的に並んでいる。これらはいずれも武蔵野で新田開発が盛んに行われた江戸中期(享保年間)に開墾された地域である。そのうち、「戸倉新田」は戸倉村(現・あきる野市)出身の郷左衛門が開き、「内藤新田」は上総国万国村(千葉県)の野中屋善左衛門の出資によって開発され、「野中新田」は本宿村(現・府中市)の内藤氏が割渡しを受けて開墾したと伝えられている。なお、「榎戸新田」の開発者については明確な史料が少なく、地名は近隣の榎戸村に由来すると考えられている。 ・図の左辺中ほどには、標高92.0mの小山と神社記号が描かれている。ここにはかつて富士山を祭神とする浅間社があったと伝わる。現在は「富士本わくわく公園」として整備されており、公園内に小さな祠が残るものの、浅間社との直接的な関係は明らかではない。 ③その他 ・地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)で印刷図を閲覧できる。 ・参考文献:『多摩地形図』(之潮)ほか ・原図は現在掲載していない |