西18-2 国分寺西南部

三千分一地形図「東京西部」西18-2 国分寺西南部(原図)
西18-2 国分寺西南部(原図)
「西18-2 国分寺西南部」と同じ範囲の現在の地図
「西18-2 国分寺西南部」と同じ範囲の現在の地図

「西18-2 国分寺西南部」の情報
属性 内容
図番・図名 西18-2 国分寺西南部(くにたちせいなんぶ)
測量・測図年 昭和18年1月
地図の種類 原図のみ
地図の区分(描図法) 詳細原寸図
地図に含まれる現在の行政名・町名 府中市武蔵台、国分寺市西恋ヶ窪・泉町・東恋ヶ窪・西元町・東元町・南町・本町
地図に表示されている注記 行政名:国分寺町、西府村
町名・集落名:押切間、熊ノ郷西、熊ノ郷東、恋ヶ窪、多喜窪、西ノ台、八幡前、花沢、羽根沢、日影山
飛地名:府中町飛地
官公庁・研究所名:小林理学研究所、日立中央研究所
学校・教育・運動施設名:国分寺第一校
建物・住宅名:今村邸、多喜窪住宅地
神社・寺院・宗教施設名:国分寺
鉄道名:下河原貨物線、西武鉄道川越線、中央本線、武蔵野鉄道多摩湖線
道路名:川越街道
その他の地名:一葉松
豆知識 ①地図全体の特徴
・縮尺は1/3,000、等高線は1m間隔で描かれている。図郭外に貼り込まれた測量年・縮尺バーなど4か所の整飾を除けば、地図面は細密で統一感のある線描で構成されている。
・「東京西部」の原図群の中でもとりわけ完成度が高く、本サイトではその精度を踏まえて「詳細原寸図」としている。
・一方で、本図に描かれた地物(道路など)の位置精度には注意が必要である。現在の地図と比較すると全体的にズレが大きく、地点によっては画面上の計測で20mを超える誤差が確認できた。本図を利用する際には、この点を踏まえて利用する必要がある。
②地図に描かれた内容から読み取れること
・図の大部分は現在の国分寺市に相当し、左下には府中市の区域が含まれている。旧町村の変遷については前述しているため、ここでは触れない。
・図下部に描かれた国分寺崖線に加え、日立中央研究所方面へと続く谷底平野沿いの段丘崖が、1m等高線によって精緻に表現されている。地理院地図と見比べると、当時の地図作成技術の高さに改めて驚かされる。
・図の左下には「下河原貨物線」の注記がある鉄道が描かれ、右へ大きくカーブしながら中央本線に合流して国分寺駅へ向かっている。この貨物線は、多摩川で採取した砂利を運搬する目的で敷設されたもので、1933(昭和8)年の東京競馬場開設に伴い旅客輸送も行った。戦後、この貨物線のルートに沿って武蔵野線が開業し、下河原貨物線自体は1976(昭和51)年に廃止された。
・奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇の命により全国に国分寺が建立され、武蔵国では湧水に恵まれた国分寺崖線を背にこの地に官寺「武蔵国分寺」が置かれた。現在の地図では「武蔵国分寺跡」として表示され、「東京西部」においては下図の「西18-5 国分寺趾」にその注記が見える。遺構として残るものは多くないが、地図記号と周辺地形を合わせて見ると、当時の寺域の広がりを想像することができる。
・図の左中央にある「多喜窪住宅地」は、戦前の住宅経営財団(住宅営団)が建設した戦時期の集団住宅の一つである。多摩地域では、軍施設や軍需工場の進出に伴う人口増に対応するため、こうした分譲・賃貸住宅が多数整備された。