西22-2 玉川学園

三千分一地形図「東京西部」西22-2 玉川学園(印刷図)
西22-2 玉川学園(印刷図)
「西22-2 玉川学園」と同じ範囲の現在の地図
「西22-2 玉川学園」と同じ範囲の現在の地図

「西22-2 玉川学園」の情報
属性 内容
図番・図名 西22-2 玉川学園(たまがわがくえん)
測量・測図年 昭和18年12月
地図の種類 印刷図のみ
地図の区分(描図法) 縮小図
地図に含まれる現在の行政名・町名 町田市玉川学園・東玉川学園・成瀬台、横浜市青葉区奈良町、川崎市麻生区岡上
地図に表示されている注記 行政名:川崎市、港北区、鶴川村、町田町、南多摩、南村、横浜市
町名・集落名:大田平谷戸、北ヶ谷、玉川学園、奈良町、西ノ谷戸
学校・教育・運動施設名:興亜工業大学
鉄道名:東京急行電鉄小田原線
墓・碑名:境塚
豆知識 ①地図全体の特徴
・本図には原図が現存していないため作成時の縮尺は不明である。しかし、西22の9面はいずれも「昭和18年12月空中写真測図」に基づいており、そのうち4面の原図が「縮尺1/4,000で作成された縮小図」であることが確認されている。地図の絵柄も周囲の図と同等であることから、本図も同様に「縮小図」と整理している。なお、等高線は5m間隔で描かれている。
②地図に描かれた内容から読み取れること
・本図の範囲は、現在の町田市と横浜市青葉区にまたがっているが、上辺中央付近には川崎市麻生区がごくわずかに描かれている。
・図の中央下に記された「南村」は、1954(昭和29)年に左中央やや上方の「町田町」に編入され、さらに1958(昭和33)年に鶴川村・忠生村・堺村と合併して市制施行し、町田市となった。右上に記されている「横浜市港北区」は当時の行政区分であり、1969(昭和44)年に港北区から緑区が分区、さらに1994(平成6)年の再編で港北区・緑区の一部から青葉区・都筑区が新設され、この地域は現在の横浜市青葉区に属している。
・図の左上に描かれた東急急行電鉄小田原線の右側には、「玉川学園」の地名と「文(中)」の記号による校舎、さらに「興亜工業大学」の地名と校舎が示されている。学校法人玉川学園は1929(昭和4)年に財団法人として創立され、現在は玉川大学のほか中学部・高等部などを擁するが、当図で明確に確認できるのは玉川中学校と興亜工業大学(現・千葉工業大学)の校舎である。
・上辺中央よりやや左に、標高104.3mの三角点が「境塚」として記されている。これは「東京西部」の地物位置精度ページで検証した二等三角点「経塚」(No.5)に相当し、地理院地図との比較では図上で約0.8mのわずかな位置ずれしかなかった。なお、「境塚」という地名は、この地点が古くから行政区画(東京都と神奈川県)の境であったことに由来すると考えられている。
③その他
・地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)で印刷図を閲覧できる。
・参考文献:『多摩地形図』(之潮)ほか