西4-4 葭窪

西4-4 葭窪(原図)

「西4-4 葭窪」と同じ範囲の現在の地図
| 属性 | 内容 |
|---|---|
| 図番・図名 | 西4-4 葭窪(よしくぼ) |
| 測量・測図年 | 昭和18年12月 |
| 地図の種類 | 原図、印刷図 |
| 地図の区分(描図法) | 縮小図 |
| 地図に含まれる現在の行政名・町名 | 武蔵野市緑町・八幡町・関前、西東京市東伏見・柳沢・新町・南町・向台町 |
| 地図に表示されている注記 |
行政名:北多摩、保谷町、武蔵野町 町名・集落名:上野、上保谷、上保谷新田、上柳沢、坂上、下野谷、関前、千川堀附、大師道、中宮、西窪、東野、柳沢、八幡附、葭窪、葭窪北台 官公庁・研究所名:中央家禽産卵養殖成績試験所 学校・教育・運動施設名:都立武蔵野高等女学校、武蔵野青年学校 建物・住宅名:寄宿舎 病院・厚生施設名:武蔵野病院 会社・工場名:大沢工場、坂本工場 道路名:五日市街道、青梅街道 橋梁名:関前橋 河川・池沼・上水名:千川上水 |
| 豆知識 |
①地図全体の特徴 ・縮尺1/4,000で作成された縮小図で、左上には印刷図に仕立てる際の図郭の引き伸ばし寸法が記されている。 ・等高線は5m間隔で描かれており、主要な地名や地物の注記は貼り込みで示されている。 ②地図に描かれた内容から読み取れること ・図は、千川上水より北側が現在の西東京市、南側が武蔵野市の範囲である。 ・図の右下に記されている「武蔵野町」は、1947(昭和22)年の市制施行により武蔵野市となった。旧保谷町の変遷については前述しているため、ここでは触れない。 ・原図の右側で白い紙により覆われている範囲は、透過によって中島飛行機武蔵製作所の建物が描かれていることが判別できる。これまで公表されてきた印刷図では白地となっており、施設の状況は全く分からなかったため、原図調査によりその配置が明らかになった意義は非常に大きい。 ・中島飛行機武蔵製作所は、戦前日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社のエンジン工場である。最盛期には約5万人が働き、軍用機のエンジン(発動機)を生産していた。 ・図の中央左下にある白地(透過不可)は、他資料により朝比奈鉄工所の建物であることが分かっている。また、その上部に描かれた丸い形状の白地(透過不可)は、ガスタンクであったと考えられる。 ・図の左下に描かれた「都立武蔵野高等女学校」は、現在の武蔵野大学である。同校の女生徒も武蔵製作所に勤労動員されていたが、1944(昭和19)年12月3日の武蔵製作所空襲の際、警戒警報を受けて校内の掩蓋壕(えんがいごう)に退避したものの、校庭に落下した1発が掩蓋壕に命中し、退避中の高等女学校5年生4名が亡くなった。武蔵野大学では、毎年12月3日に4名の女生徒を追悼する「散華乙女の追悼会」が行われている。 ・図には千川上水が描かれているが、これは玉川上水から分水した用水である。本図では流路のみを確認できるが、分水の位置や経緯については、玉川上水の分岐地点を扱う図(西11-9 境北部)で詳しく述べる。 ③その他 ・地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)で印刷図を閲覧できる。 ・参考文献:『多摩地形図』(之潮)ほか |