「東京西部」に表現されている軍事施設・軍需工場
はじめに
本ページは、「東京西部」に描かれている軍事施設や軍需工場について、確認できたものを地図及び一覧表として整理したものです。
(1)多摩に集積した軍事施設・軍需工場
大正11年11月、北多摩郡立川村に陸軍飛行場(立川飛行場)が建設され、岐阜県各務ヶ原から飛行第五大隊(のちの飛行第五連隊)が移駐しました。これが多摩地域の軍事基地化の始まりでした。
その後、立川飛行場を中心に、昭和町(現・昭島市)にまたがる地域には、陸軍航空工廠、陸軍航空技術研究所などの陸軍施設が集積し、さらに昭和5年には株式会社石川島飛行機製作所(昭和11年に立川飛行機株式会社へ改称)が移転して急速に規模を拡大しました。
立川周辺では、大和村(現東大和市)に日立航空機立川工場、昭和町に昭和飛行機工場、村山村(現武蔵村山市)に陸軍少年飛行兵学校、昭和町・拝島村・福生町・瑞穂町・村山村・西多摩村(現羽村市)・立川市にまたがる陸軍多摩飛行場が整備され、「軍都立川圏」が形成されていきました。
一方、武蔵野町では昭和12年に中島飛行機株式会社が建設され、武蔵野・三鷹・田無・保谷などに関連会社・下請け工場・研究所が多数立地し、「武蔵野軍需工場圏」を形成しました(小沢(1995))。
(2)「東京西部」で表現されている軍事施設・軍需工場
「東京西部」全図を精査した結果、軍事施設:38か所、軍需工場:51か所が確認できました。これらは既存の文献・資料と照合しながら一つずつ確認しましたが、資料に記載がなく、工場記号のみで判断できないものは数に含めていません。
下図は、「東京西部」から取得した軍事施設・軍需工場の位置図、一覧表は主要な施設・工場を掲載しています。
| No | 陸軍・海軍の施設名、軍需工場名 | 原図上での地物の描画状況 | 施設が含まれる図番 |
|---|---|---|---|
| 1 | 中央航空研究所 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西5-4, 西5-5, 西5-7, 西5-8 |
| 2 | 調布飛行場、東部第百八部隊 | 地物表示と無描の2つに分かれている | 西12-8, 西12-9, 西13-2, 西13-3 |
| 3 | 陸軍燃料廠 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西12-7, 西18-9 |
| 4 | 第三陸軍技術研究所、第五陸軍技術研究所 | 地物が描画されている | 西11-7, 西17-9 |
| 5 | [陸軍経理学校] | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西17-6 |
| 6 | 傷痍軍人東京療養所 | 地物が描画されている | 西10-1 |
| 7 | [陸軍兵器補給廠小平分廠] | 遮蔽されていて見えない(透過不可能) | 西16-8, 西17-2 |
| 8 | [陸軍少年通信兵学校] | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西16-7 |
| 9 | 陸軍獣醫資材本廠 | 地物が描画されている | 西27-8, 西27-9, 西28-2, 西28-3 |
| 10 | 陸軍航空技術学校、立川陸軍病院 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西27-7, 西27-8, 西28-1, 西28-2 |
| 11 | 立川飛行場 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西27-4, 西27-7, 西28-1 |
| 12 | 陸軍航空技術研究所 | 地図により地物が描画されていたり、遮蔽されている(透過可能) | 西27-7, 西37-6, 西37-9 |
| 13 | 陸軍航空本廠立川支廠(立川陸軍航空廠) | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西27-7, 西28-1, 西37-9, 西38-3 |
| 14 | 陸軍航空工廠 | 地物が描画されている | 西37-6, 西37-9 |
| 15 | 東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校) | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西26-7, 西27-1 |
| 16 | [所沢陸軍航空整備学校立川教育隊] | 地図により遮蔽(透過可能)、または遮蔽の形跡がある | 西26-4, 西26-7, 西36-9 |
| 17 | 陸軍飛行実験部飛行場(陸軍多摩飛行場) | 地図により地物が改描されていたり、描画されていたり、遮蔽されている(透過不可能) | 西36-4, 西36-7, 西37-1, 西45-6 |
| 18 | [陸軍航空整備学校] | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西45-9 |
| 19 | 陸軍航空支廠熊川倉庫、吾嬬製鋼所立川工場 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西37-1, 西37-4, 西46-3, 西46-6 |
| 20 | 東京幼年学校(東京陸軍幼年学校) | 地物が描画されている | 西48-4 |
| 21 | [日本陸軍火工廠多摩火薬製造所] | 原図及び印刷図でも地物が描画されている | 西19-8, 西19-9 |
| 22 | [相模陸軍造兵廠] | 原図には何も描かれていない | 西41-6, 西41-9 |
| 23 | [陸軍兵器学校] | 原図には何も描かれていない | 西31-4, 西31-7, 西41-6, 西41-9 |
| 24 | 陸軍士官学校演習場 | 原図のみで地物遮蔽しているかどうかの判断は難しい | 西32-7 |
| 25 | [東京陸軍兵器補給廠田奈分廠] | 原図では何かを改描している | 西22-3, 西22-6 |
| 26 | [横須賀海軍資材集結所] | 印刷図のみのため判断できない | 西24-2 |
| 27 | [中島飛行機田無試運転工場・中島航空金属田無製造所] | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西10-6, 西10-9 |
| 28 | [中島飛行機武蔵野製作所] | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西4-4, 西4-5 |
| 29 | 芝浦電気府中工場 | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西18-4, 西18-5, 西18-7, 西18-8 |
| 30 | 日本製鋼所武蔵製作所 | 遮蔽されていて見えない(透過可能) | 西18-8 |
| 31 | 日立航空機製作所 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西26-8, 西27-2 |
| 32 | 立川飛行機製作所、立川飛行機病院、立川飛行機寄宿舎 | 地物が描画されているが、遮蔽の形跡がある | 西27-4, 西27-5, 西27-7, 西27-8 |
| 33 | 昭和飛行機製作所、昭和飛行機飛行場 | 地物が描画されている(一部、鉄道引き込み線が遮蔽されている(透過不可能)) | 西37-4, 西37-5, 西37-7, 西37-8 |
| 34 | 日野重工業 | 地物表示と無描の2つに分かれている | 西38-8, 西38-9 |
| 35 | [浅野重工淵野辺工場] | 地物が描画されている | 西32-1 |
| 36 | [犬塚製作所町田工場] | 地物が描画されている(印刷図から判断) | 西23-1, 西23-2, 西23-4, 西23-5 |
(表の見方)
表のNoは位置図と合わせている。施設名を[]で表記しているのは、原図に地物遮蔽がされているが透過で確認できるもの、または資料等でその存在が明らかになっている名称を表している。()は別称。
(3)関連施設
1)戦時集団住宅
多摩地域に建設された軍事施設・軍需工場では、多数の従業員が働いていたため、社宅・宿舎・寮などの住宅が整備されました。三村(2005)では、これらを便宜的に「戦時集団住宅」と呼んでいます(※一般的な制度名ではありません)。「東京西部」にも、地図作成当時に存在していた戦時集団住宅が描かれています。本ページでは、三村(2005)の整理に基づき、田無地区の事例を紹介します。
上図は、『田無市史 第三巻 通史編』に掲載されている戦時下の田無地区(現在の西東京市)の地図をもとに、「東京西部」に描かれている戦時集団住宅と軍需工場(中島飛行機の関連会社ほか)を重ね合わせたものです。
西武鉄道村山線(現在の西武新宿線)田無駅の北側と南側には、5つの住宅が点在しています。三村(2005)によると、
・①谷戸住宅、②北原住宅、③上宿住宅:住宅営団が建設した中島飛行機従業員用住宅
・④下宿住宅:中島飛行機住宅(建設主体は不明)
・⑤柳沢住宅:中島飛行機自身が建設した社宅
と整理されています。
中島飛行機武蔵製作所は田無駅から南東に約2km離れた場所にありますが、その工場周辺にも家々が集団でまとまっている様子が「東京西部」の地図に描かれています。市町村史などの歴史資料と照らし合わせることで、地図上の住宅群がどのような背景で形成されたのか、戦時下の暮らしの一端を読み取ることができます。
なお、「戦時集団住宅」に関する詳しい説明は、こちら(「多摩のあゆみ」第119号)をご覧ください。
2)戦車道路(戦車類運行試験場)
神奈川県相模原町(現在の相模原市)にあった相模陸軍造兵廠では戦車の製造が行われており、完成車両の性能試験を行うための道路が周辺に整備されました。この道路は、公的には「戦車類運行試験場」と呼ばれ、通称「戦車道路」として知られていました。
「東京西部」の西31-4、西31-7、西41-3、西41-6の4図幅には、幅の広い道路(画面上の計測では約20m)が描かれており、これが戦車道路の一部であった可能性が高いと考えられます。
本ページの内容は、小沢(1995)、三村(2005)に基づく。詳細な参考文献は「参考資料」を参照。