戦時改描と地物遮蔽

はじめに

本ページでは、「東京西部」の原図と印刷図の比較から明らかになった「地物遮蔽」という独自の手法について、その分類と具体例を示します。

(1)戦時改描とは何か?

地形図における「改描」とは、日本国際地図学会編(1998)によれば、「昭和10年代に陸地測量部が行った、地形図の一部分についての地物描示の変更製図」を指します。たとえば、兵営などの軍事施設を市販図から除外するため、図形を削除し、公園などに類似した形状へ描き替える作業がこれに該当します。

山田(2021)によると、 昭和12年(1937)に参謀本部からの命令で改描が始まり、昭和19年(1944)に地形図の軍関係以外への販売が全面禁止となったことに伴って改描図が世に出ることもなくなった、この7年間で市販される地形図のうち面数で約3分の1の図が表現内容の一部を改ざんした、としています。

したがって一般に「戦時改描図」とは、「日本の戦争遂行を目的として、地形図の一部表現を改ざんした地形図」を意味します。

戦時改描図の例

(2)「東京西部」における地物を隠す手法

「東京西部」は、まさに戦時改描が行われていた時期に作成された図であり、例外なく改描が施されています。しかし、原図を精査すると、一般的な戦時改描とは異なる特徴が明らかになりました。

1)原図と印刷図の決定的な違い
 原図:空中写真に写る軍事施設などの地物が正確に描かれている
 印刷図:印刷段階で"外部に出すと不都合な地物"を隠す処理が行われている
特に、原図の上に白い紙を貼って地物を覆い隠した例が多数確認され、これを本研究では「地物遮蔽(ちぶつしゃへい)」と名付けました。これは、図そのものを描き替える「戦時改描」とは異なり、原図を保持したまま印刷工程で地物を隠すという点で、明確に一線を画す手法といえます。

2)4種類の手法分類
原図および印刷図の観察から、地物を隠す手法を次の4種類に分類しました。施設が複数図葉にまたがる場合は、図葉ごとに手法をカウントしています。

「東京西部」における地物を隠す手法
手法 定義 箇所数
地物遮蔽 原図には地物・記号・注記が描かれているのに、印刷図では白抜きになっている、または原図に遮蔽の痕跡が残るもの。なお、原図には白い紙で覆われているが透過して地物が見えるもの、または不透過で見えないもの、さらに原図から印刷図への作業工程中に遮蔽した痕跡があるものも含む。 129
改描 原図上ですでに他の地物へ描き替えられているもの 15
無描(原図) 空中写真で施設の存在が明らかにもかかわらず、原図に描かれていないもの 10
無描(印刷図) 印刷図に不自然な白部があり、空中写真では施設が存在するにもかかわらず描かれていないもの。原図が現存しないため手法は不明 13

(3)地物遮蔽の事例

「東京西部」には、原図に紙を貼っている地図や、貼られていた形跡がある地図があり、印刷図では該当部分が空白になっています。また、紙を貼っている地図の中には、建物の形状が透けて見えるものと、まったく透過しないものがあります。ここでは、その代表的な2つの事例を紹介します。

中島飛行機武蔵野製作所は、当時の軍需工場では最大規模の施設であり、工場建物が並んでいる様子が透過によって確認できます。一方、陸軍兵器補給廠小平分廠は、全国の軍需工場で製造された戦車や装甲車などの大型兵器を受け入れて保管し、必要とする部隊へ供給する役割を担っていましたが、その施設状況は全く分かりません。なお、貼付の形跡がある地図については、「『東京西部』の索引図と原図・印刷図の違い」のページをご覧ください。

次の地物遮蔽の事例です。原図では、工場の記号と注記(「東京兵器」「昭和工具」)が表示されていますが、印刷図ではこれらが消えています。原図そのものには遮蔽の形跡が見られないため、印刷図を作成する段階で記号と注記を意図的に隠し、その上から地物(建物のハッチ)を補描したものと考えられます。これらのことから2つの工場は軍需工場であると推察されます。

(4)改描の事例

改描が施されている事例です。原図では一度地物が描かれていましたが、何らかの指示によりその地物を隠すため、新しい紙を貼り重ねたうえで荒地記号を描いたり、植生界や等高線のみを残したりしたことが、透過によって確認できました。このような改描の細工が施された図は、いずれも昭和18年12月測図のものです。

(5)無描(原図)の事例

空中写真には軍事施設(陸軍兵器学校など)が写っていますが、原図ではそれらの地物を描かず、空白のままにしている事例を示したものです。

(6)無描(印刷図)の事例

原図が現存しない印刷図において、白く抜けていて違和感のあった部分を空中写真で確認したところ、軍事施設などが写っていた事例を示したものです。原図が残っていないため断定はできませんが、他の多くの図と同様に、原図上には本来の地物が描かれていたと考えられます。


本ページの内容は、主に日本国際地図学会編(1998)、山田(2021)を参照した。詳細な参考文献は「参考資料」を参照。