東京図測量原図・東京図の概要

はじめに

印刷された一色刷りの「東京図」については、清水(1965)および大森(1965)が、地図の概要と図式の特徴を同一の学会誌上で報告しています。また、色彩豊かな「東京図測量原図」については、日本地図センター(1984)が複製を刊行し、原田ほか(2007)は写真資料と東京図測量原図を多用して、鹿鳴館時代の東京の姿を紹介しています。
本ページでは、これら既存文献の成果を参照しつつ、東京図測量原図および東京図の概要を整理します。

(1)東京図測量原図および東京図の作成過程

東京の五千分一地図は、まず陸軍省参謀局が皇居を中心とする約7.5km四方の地域について、明治9年に測量を開始しました。しかし、西南戦争の勃発により、測量は一時中断を余儀なくされました。

その後、明治14年に参謀本部測量課が測量を再開し、同年に制定されたフランス式せん彩図式による「兵要測量軌典」を採用して、細密な表現と華麗な彩色を特徴とする測量原図が明治16年から17年にかけて作成されました。

さらに、明治17年に軍制がフランス陸軍方式からドイツ陸軍方式へと変更されたことを受け、東京図の図式もその影響を受けました。これにより、ドイツ式の一色線号図式を用いた地図が作成され、明治20年に出版されました。

両図を比較すると、色彩豊かな東京図測量原図のほうが評価されがちですが、地形界線を比較的ラフに描く原図に対し、1色刷りの東京図は地物を丁寧に製図しており、こちらにも十分に注目すべき価値があると考えます。

両図の作成目的については、陸軍施設の移動将来の地図作成官庁となる測量局の業績としての既成事実化市街戦用図としての試みなどが挙げられています(清水,1965)。しかし、この二つの地図は、江戸時代の景観を想像させるとともに、明治維新直後のまだ十分に明らかにされていない東京市中の様子を如実に伝える地図であるといえます。

(2)図幅の構成

東京図測量原図および東京図の索引図については別ページで詳述しますので、ここでは両図の図幅構成について簡潔に述べます。

東京図測量原図は、縦横とも図上の長さが約1,250mで、ほぼ正方形の図郭を持ちます。各図郭の上辺・下辺・左辺・右辺には約5mmの重複部分が設けられていますが、作成年の違いなどの理由により、隣接図と地物が必ずしも一致するわけではありません。また、東京図測量原図は全38面で構成されています。このうち、1面は元老院や岩倉邸などの一部のみが描かれた図であり、さらに2面は原図4枚分の範囲を1面に集合清繪した地図(長岡,2018)です。したがって、厳密な意味での「東京図測量原図」は35面となります。

東京図は、東京図測量原図4面を1面として構成されており、図郭の縦横はいずれも図上約2,500mで、ほぼ正方形となります。前述のとおり「東京図測量原図」は35面ですが、右下隅は海域に当たり原図が作成されていません。しかし、東京図は原図36面を4面ずつまとめる形式で編集されるため、この海域部分を含めて都合9面の図となります。

(3)東京図測量原図と東京図の比較

東京図測量原図と東京図の違いを示した文献は多くありません。ここでは一例として、両図から明治17年頃の現在の上野恩賜公園の一部を切り出し、並べて比較します。

注記に見える「動物園」や「東照宮(上野東照宮)」は現在も所在し、寛永八年(1631)に初建された上野の「大佛」は、関東大震災で頭部が落ち、さらに第二次大戦時の軍の供出令により胴体が徴用され、現在はお顔のみが残されています。また、東京図測量原図の右上に描かれた朱色の建物は、国・府が管轄する施設であり、図外右側に「博覧会陳列場」と記されています。ここでは明治14年に第2回内国勧業博覧会が開催されました。

両図の差異として特徴的なのは、東京図測量原図に多数描かれている「独立標高点」です。数値を伴うこれらの標高点は、印刷図である東京図には一切描かれておらず、測量原図としての性格が明確に表れています。植生記号の描き方も対照的で、東京図測量原図では自然な配置で描かれているのに対し、東京図では整然と並べられ、編集図としての整理が加えられています。これらの違いは、冒頭で述べた作成過程の差異が具体的な図面表現として現れたものといえます。

さらに、ここでは示せませんが、両図の最大の違いとして、現在の赤坂御用地・皇居・浜離宮恩賜庭園・旧芝離宮恩賜庭園の四つの敷地の描写が挙げられます。東京図測量原図では、これらの敷地が鮮やかな色彩で建物や植生まで詳細に描かれているのに対し、東京図では白部として処理されています。以降、陸地測量部が作成した多くの地図でも同様に白部となるため、東京図測量原図における四敷地の描写はきわめて貴重なものといえます。

明治17年頃の上野恩賜公園付近の地図

(4)地図が示す主な内容

五千分一「東京図測量原図」および「東京図」は、明治16年から20年頃の東京市中の状況を精密に描写した大縮尺地図であり、当時の都市構造や土地利用を具体的に読み取ることができます。以下に、地図から把握できる主な内容を示します。

【地形の特徴】
台地面では畑・桑畑・茶畑、低地面では水田・蓮田・蘆および湿地といった植生記号を手がかりに、台地と低地を判別できます。両者の境界は等高線によって密に描写されており、地形の起伏を把握しやすい構成となっています。
一方で、皇居より東側の現在の下町地域や、台地と台地の間に形成された谷底平野では、江戸時代から家屋が密集していたため、植生記号による地形区分は困難です。
【水系(河川・堀・水路)】
河川や堀は幅広く描かれ、青色で塗り分けられているため、水系の主要構造を容易に把握できます。また、江戸期以来の水路網が、地下流水や樋として描写されており、明治初期の都市インフラの基盤を読み取ることができます。さらに、邸宅内に限らず、一般の個人宅にも池が設けられていた様子がうかがえます。
【道路網の構造】
道路は幅の違いによって主要度が示されており、幹線道路は太く、街区内の細街路は細い線幅で描かれています。こうした道路幅の差異から、道路の役割分担を把握できます。
【土地利用(官庁・軍施設・学校・寺社など)】
官庁街、陸軍施設、大学・学校、寺社などの建物は、平面形が精密に描かれています。特に官公庁や軍施設の建物は彩色によって強調されており、皇居周辺に明治政府の都市構造の中心が形成されていたことが読み取れます。
【建物の描写】
東京図測量原図に描かれた建物の形状は、驚くほど精密に表現されています。明治16年に建てられた煉瓦造二階建ての洋館「鹿鳴館」については、文献(富田,1984)に掲載されている平面図と照合したところ、地図に描かれた鹿鳴館の形状が平面図と極めてよく一致していました。
これは空中写真を用いたのではないかと思わせるほど測量精度が高く、当時の建物の形状を忠実に表現しているのではないか、と評価できます。以上から、東京図測量原図に描かれた建物の形状は、当時の建物の実態をほぼ正確に反映していると考えてよいと思います。
【縮尺(五千分一)の特徴】
縮尺五千分一は、1cmが約50mに相当する大縮尺であり、道路幅や建物形状を比較的細かく読み取ることができます。現代地図と対照することで、街区構造や土地利用の変遷を具体的に把握できます。
【図幅の構成】
図幅は一定の区画で分割されており、境界線によって区切られています。複数の図幅を接合して1枚の地図にすることで、東京市中の広域的な都市構造を把握することができます。

(5)都市計画専門家による東京図測量原図の評価

東京図測量原図については、都市計画の専門家である石川幹子氏(当時・慶應義塾大学環境情報学部教授)が、学会誌『都市計画 56巻 1号(2007)』に論考を寄稿しています。

この中で石川氏は、明治初期に参謀本部陸軍測量局が作成した五千分一東京図測量原図が、江戸から東京へと都市が転換していく過程を読み解くうえで、極めて重要な資料であると評価しています。特に、フランス式せんさい図式による精緻な描写が、家屋・庭・池・水路・街路樹に至るまで当時の景観を忠実に伝えており、江戸が「庭園都市」であったことを示す貴重な証拠であると指摘しています。

また、芝増上寺から浜離宮庭園にかけての図幅を例に、寺院の伽藍配置、樹種の細密な描写、江戸湊の河岸の賑わい、浜離宮の鴨場地形など、在りし日の江戸・東京の姿が柔らかな色調の中に鮮やかに残されている点を強調しています。さらに、図面に刻まれた技師名からは、測量に携わった技術者の気概と、失われゆく景観への深い愛惜の念が伝わると述べています。

以上のように、都市計画分野の専門家からも高く評価される東京図測量原図は、地図史料としてだけでなく、都市の歴史的景観を伝えるうえでも重要な文化遺産であると言えるのではないでしょうか。